マルチファンクションディスプレイの話
僕の愛車は今から約20年前に生産された古いモデルです。
一瞬のピークパワーだけの為に低回転トルクを犠牲にするピーキーな過給器で大気圧の1.5倍まで圧縮した空気を、ワイヤースロットルをキコキコ言わせながらポートに噴射してエンジンをしばき倒し出力を捻りだす、古き良き時代のお車。
当然、追従クルーズコントロールや自動ブレーキアシストなんて搭載されていないし、なんならキーレスですらない。乗り込む際にはキーをドアの鍵穴に入れて回して開錠します。
まぁ、自分の車のことはどうでもいいんですけど、今日から数日間、諸般の事情により借り物の車で過ごす機会を得ました。
お借りしている車がわりと新しいモデル(とはいえ、2年前のモデル)なので、自分の車には無いシステムや機能が多々あります。
それらはどれもわくわくしながら使い始め、軽く感動し、そしてそのうち飽きて使わなくなり最後には存在を忘れてしまうんですが、少しだけ愉快に考える機会をくれたのがダッシュボードに設置されている液晶ディスプレイでした。
マルチファンクションディスプレイというものだそうです。
名前の通り、色々な情報を表示してくれます。画面切り替えの機能を持っているので、好みの画面を探す楽しみがあります。
最初のうちは表示コンテンツがどれも新鮮で、操縦に応じて動く様が楽しくてしょうがないんですけど、画面をパチパチと切り替えながら走っていくうちに
「で、これらの情報を与えられた俺は一体どうすれば…?」
という自分自身の無力感に包まれていきます。
別に無くても困らない情報の追加付与なので、感覚的には機能というよりもエンタメ。飽きたらもうそこで終了なんです。
しかしポジティブな僕は、「無理に活用する必要はない。必要な時だけ必要なものを見ればいい。のびのびやればいいんだ」という結論を一旦出しますが、この論もすぐに破綻します。
このディスプレイ、ドライバーに視認されるために生まれているので、当然ながらドライバーから見やすい場所に設置されています。なので、運転中は常に視界の片隅にはこの画面がいます。
不要なコンテンツが常に視界に存在する状態、なかなか居心地がよろしくない。
広告リンクだらけの通販ページやWebニュースページを見ている時の不快感に至りそうな気配が、この小さな画面から感じます。やがて、このディスプレイの画面切り替えの機能が “好きな画面探し” 目的ではなく、”視界に居座られても許せる画面探し” 目的で発揮するようになります。(※もちろん、人によってはこれらのコンテンツが重宝することもあるのだと思います。あくまで僕個人の需要・好みと合わなかったというだけのことです)
ええい、画面を消してしまえ!と決心しても画面OFF機能はありません。仮にあったとしても、ディスプレイのハードウェア自体は消せないので、何も映さないディスプレイがダッシュボードに鎮座することになり、それはそれで多分きっと穏やかではない。
ちなみに、メルセデスやBMW等の某国のお車でも同様のコンテンツ表示機能はありますが、彼らはそれをHUDで実現しています。フロントガラス投影です。
そして、HUDは当然ながらON/OFFの切り替えができます。やっぱそういうことなんだよな…
そんなこんなでディスプレイ表示の鞘の納め方に悩んでましたが、どうにか1つだけ仲良くなれそうな画面を見つけました。
オーディオの曲名表示画面。
もうこれだけでいい。というか、これはむしろありがたい。
僕は一気に大量に曲を購入することがあるのですが、そうした際はアーティスト名や曲名を覚えていないまま新曲でのプレイリストを組みランダム再生で流すことが多いです。その際、自分で組んだリストにも関わらず「あ、この曲誰だっけ?」となる頻度はそれなりにあったりします。
オーディオを再生するナビを操作して曲名表示させることも可能ですが、運転中にそれをするのって実はなかなか難しいんですよね。そもそもナビは地図表示して欲しいし。
ナビとは分離したデバイスでの曲名情報表示機能を僕は潜在的に欲していたのだなと、この画面を見つけた瞬間に自覚しました。
そして、この機能はこういったユーザー自身が自覚していない潜在的なベネフィットまで見据えて設計されたのかな?と考えるようになりました。そうだったら素敵だなって。格好いい…
…と、ディスプレイひとつでここまで起承転結のある思考ができ、結果として名も知らないエンジニアへのリスペクトが芽生えたので、今日はとても愉快な退勤路の運転になりました。