お皿洗い

田舎の町でエンジニア。趣味のお話をふわっと書きます。

雨はもう止んでいて

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※本記事は、VRChat謎解きワールド「アスタリスク花言葉」のネタバレを含みます

 

 

 

アスタリスク花言葉 -Asterisks' Will-

 

公開から割と早いタイミングから挑戦していたものの、僕自身がVRCへ入る頻度が少ないこともあり最終的にクリアするまでに6ヵ月近くの期間を要した。実際のVRCのプレイ時間は50~60時間程度。まぁ、このアスタリスクはVRC外での行動も伴う為、それらを含めた総プレイ時間は結構なことになっている。

攻略中は思考と挫折と感嘆を繰り返して心が多忙を極めた故に、それをクリアした達成感はそれなりに強く、一種の喪失感のようなものまで感じているほど。ただ、この勢いままにこの作品の解釈を図る技量と度胸を僕は持ち合わせていないので、このモチベーションは僕自身の振り返りにぶつけることにした。これまでの出来事も含めて。せっかくなのでね。

 

 

 

では、改めて…

※以下、VRChat謎解きワールド「アスタリスク花言葉」の致命的なネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

※以下、映画「Ready Player One」の軽度なネタバレを含みます

※以下、ゲーム「Doki Doki Literature Club!」及び「Doki Doki Literature Club!  Monika After Story」の致命的なネタバレを含みます

 

 

[1]

ヨツミさんと出会った…というより、初めて一方的に見かけたのは恐らく"某所" 旧2.0だったと思う。当時はWebPanel全盛期で、インスタンス毎の滞在者が確認でき、更にはそのインスタンスへ直で飛べる機能を持つ非常にクレバーなリスト(ふぁいふぁい)がバリバリと稼働していた。街を歩けばWebPanelエンジンのギミックと櫻歌ミコが溢れていたあの頃だ。まぁ僕はそうそう街の散策などしていなかったのだが。

某所旧2.0会場2階のバーカウンターに座っていると、ふらっと現れた青白い大きな背丈でさっぱりとした顔のアバターに目が留まった。脚のない浮遊体、宙に浮く指、そびえ立つ耳。そして「きれいな青だな」と感じた色。印象に強く残っていた。

初めて言葉を交わしたのは"盆"だった。盆会場の設置されたオブジェクトにしか見えない"境内そのもの"に姿を変え、あの空間の屋台骨になっていた献身的な彼を見て、どうしても感謝と称賛を伝えたくて話しかけたのだ。境内の鳥居あたりに「y23586」のネームプレートが浮かんでいたので、その鳥居に向かって「身動きひとつ取れずに大変ですね」的なことを話しかけ、鳥居から「いえいえ~」的な返事を貰っていたと思う。

この時のヨツミさんは何故かカメラを向けると「決して納得はしていないがここは留飲を飲む」表情をしていた。

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ようやく普通の笑顔を見せてくれたと思ったら、今度は後頭部がお取込み中だったり。

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彼は色々な姿へ変化していったが、盆の滞在中のかなりの時間を境内として過ごしていた。盆に参加した他のプレイヤーらの写真にもあの境内が写っていたことだろう。

イベント開始から繋ぎ続けたDJのリレーもいよいよ50時間を超えた午前4時、夏の雪が積もる境内で踊り続けたあの時間は、"空間側"に立ってくれたヨツミさんやその他の多くのプレイヤーが居たからこそ巡り合えたものなのだ。あの空間は空も飛べると思える程の高揚感に包まれていた。

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ヨツミさんに限らず、多くのプレイヤーが持ち込んだ風情が積算された夜だった

この盆の印象と感情を心に強く焼き付けた僕は、それを何かしらの形にしてアウトプットへ昇華させたかった。

それは、盆から約1年半後に製作したVJにて達成した。

sara-arai.hatenablog.jp

 このVJの後半シーンにて、"ランタナの居る空間では境内が見えず、ランタナが居ない空間では境内が見える"というシチュエーションがある。これは、あの盆のヨツミフレームのそれを再現したものだ。僕の捻くれた脚色を付与しながら。

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この"盆の境内"をきっかけに、彼に対しては"向こう側に居る人"という漠然としたイメージを持つようになった。何かを発信する際、そして受信する際の視点の置き方がとてもユニークなのだと思う。僕にはできないことだ。

そんな想い入れがあったので、4部屋目にて鳥居をアレする際には「お前は!一体!何処から!何を!見ている!のだ!教えろ!おのれ!ヨツミ!フレーム!」と、一撃毎に魂を込めた気がしないでもない。

 

 

[2]

僕はもともとSF映画をあまり観ない方だった。サイエンスは好きだが、フィクションよりはドキュメンタリーを欲するタイプの人間だ。

…が、VRCに入り浸るようになると、そこには(少なくとも僕の周辺にいる方々は)やたらとSF好きな方が多く、特に深い経緯もなく「みんなが観てるから」という理由であっさりとその手の映画を見るようになった。

その流れで見た映画の一つがマトリックスだった。

観たタイミングはアスタリスク公開の約半年前。内容についてそこそこ記憶に残っている状態でアスタリスクをプレイしたので、2部屋目は扉に書いてるウサギちゃんメッセージをきっかけに比較的容易に突破できた。運が良かった。

…が、3部屋目攻略を始める前に、攻略にあたって思い出してしまったマトリックスをまた観たくなってしまったので、一旦アスタリスクを放置してマトリックスの再履修を行った。3部作通しで。

アスタリスクは鍵のヒントがVRC以外のコンテンツに隠されているものが多い。攻略の為にはそれらのコンテンツを調べたり視聴したりすることになるのだが、それらのコンテンツがやたらと僕の好みの物が多く、鍵探しのつもりがどっぷりとコンテンツそのものを楽しんでしまい、当初の目的(アスタリスク攻略)を見失いがちになる。僕がクリアに長い期間を要してしまう要因はこれが大きかった。

 

あと、僕には、"大勢の人が称賛するものほど距離を置きたくなる"という残念な癖がある。全米が泣いても僕は泣かない、そう信じてやまないマイノリティ思考。同感してくれるオタク各位、今後も何卒宜しくお願い致します。

ただ、これは友人や職場といった親しいコミュニティの中では当てはまらないことが多かったりする。そういった身近な人から勧められたものは喜んで乗っていく。

SF嫌いだった自分が今となっては普通に楽しんで観るようなったということは、VRCで知り合えたコミュニティは僕にとって身近な存在として認識しているのだなと、床に落ちている見えない小銃を探しながらそっと理解をした。

ちなみに、映画を観た後にはこうやってその映画を全てわかったような人みたいなことを安直に呟いちゃうぐらいには僕は軽率でミーハーである。僕の手のひらは返すために存在している。覚えておくと良いかもしれない。

 

 

[3]

今更こんなことを言うのもどうかと思うが、僕はVRというものがよくわからない。VRとは何だ?両目に近接するレンズに投影される映像のことを指すのか?それをネット経由で遠くの誰かと同期することを指すのか?一体何なのだお前は…と。

この手の話はもう散々され尽くしてきた感があるが、未だに納得できる解釈を得られていなかった。特に"VR"の対義で"現実"を挙げた話が本当に難しい。VR体験する為には、機器設置や部屋(環境)づくりに始まり、装着時の人体への負荷や充電の管理等、VR無しで過ごすよりも現実での面倒事や制約が増える。嫌になる程に激しい現実への干渉だ。

僕はおかげさまで某所でDJ遊びを細々とさせて貰っているのだが、このVRCをしながらDJをするという行為こそが最大級に現実干渉著しいVR行為であると思う。ざっくり言えばHMDを被りながらDJをやり、音ならびに映像をストリーミング配信をするということだが、具体的には下記の現実での事象が発生する(僕の環境の場合)

  1. DJ機材はHMDと鼻の間のジャパニーズクリアランスから覗かなければならない。またはHMDを額まで持ち上げ頭を締め付ける
  2. VRコントローラーをDJブースの"トラッキングが飛ばない"適当な場所に置かなければならない。(僕の場合、ブースに空き地が無い為ミキサーの上に置くしかない)
  3. ヘッドホンはDJミキサーに繋ぐ為、VRCの音が聴こえない
  4. 後ろにはHMDケーブル、前にはDJミキサーからのヘッドホンケーブルと、前後を配線で縛られる
  5. DJおよびVJ用midiコンとVRCの干渉、マシンスペック不足によるハングアップ等の"そういう類のトラブル"回避やケアが必要
  6. 疲労(主に頭部)

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前後をケーブルで縛られる頭部、ミキサーに鎮座するviveコン


これらの事象は人(環境)によって変化するものだが、少なくともVRCとDJを並行で行う以上何かしらの制約や負荷は不可避なのだ。しかも最近ではVJまでやるようになっちゃったのでより一層エクストリームに。

そのような状態につき、VRCでDJをしている最中に関してはVR没入感はほぼ皆無と言っても良い。むしろ現実でDJをするよりもアグレッシブに現実を全身で感じている。ただ、没入感は無くともVRC空間を感じないということではなく、踊ってくれている人がいる空間をHMDで眺めながらDJをするのは本当に楽しく嬉しい訳で、その為にこれらの現実負荷を背負ってまでも挑み続けているのだ。

恐らく、この「踊ってくれている人がいる空間をHMDで眺めながらDJをするのは本当に楽しく嬉しい」というのが、僕がDJという行為で得たいものなのだろう。そして、現実でそれを得るのはそれなりに大変な訳で、それを容易に得ることができる新たな手段、それがVRだったということだ。HMDレンズの映像がどうとか音がどうとか、そういった表面上のインターフェースの向こう側にある"それ"。これを本質というのだろうか。

やはり、他人の視点からの解釈だけではなく、自分の視点からの解釈があって初めて理解へと繋がるのだなとしみじみ。

 

 

[4]

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1%個展周回後に出現する「けん玉で遊ぶランタナ」が4部屋目のヒントに違いないと考え、あのけん玉遊びホログラムを最後まで見てやろうと座り込んだことがある。思っていた以上に尺が長かった。それはそれは長かった。そして直接的には攻略には関係が無かった。それでも僕は最後まで見たという若干の達成感があった。無駄ではなかったのだ―――。(記憶の彼方に飛ばすには惜しいので、ここに書き残す。前後へ繋がる文脈は特にない)

 

僕、実は1%に展示物として出ている。obakeさんの曲のジャケ写として。こういう個展展示のパスもあるのだなと感慨深い。

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ジャケ写(アートワーク)にあたっては、"ポップで夏っぽい画が欲しい"というobakeさんの御眼鏡に適ったのがロジックさんと僕のアバター、そしてヨツミさんの縁日ワールドだった。まさかこの時には、このワールドが後に大掛かりな謎解きアートの一部になるなんて思ってもいなかった。

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撮影現場では「なんかこれ(りんご飴)とか持って良い感じにすればそれっぽいの撮れそうじゃん?そういう感じで頼むよ」というロボからの繊細なリクエストを基に、それっぽい画を撮影していった。程よく暗い中、照明の滲む光が視界に入ったり出たりするあの縁日ワールドの温度感が心地良く、カエルも銀髪もご機嫌だった。暖かい場所なのだ。

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「ほら、これ持って笑えよ」と指示を出すロボ

4部屋目攻略でここに来た時、そんなことを思い返していた。きっとここは他のプレイヤーも各々の思い出があるのだろう。人の数だけ思い出が偏在する。「キラーコンテンツは人」とは良く言ったものだ。

 

僕がジャケ写になった曲は下記リンクから購入できますので、是非。

digitalghost.booth.pm

 

 

[5]

ゴーグル1つですべての夢が実現する新世代のVRワールド「オアシス」。

今から27年後、食べたり眠ったりトイレに行く以外はすべてオアシスで過ごす。そんな未来がすぐそこまで迫ってきた!

そこでは、人々のあらゆる願望が形になる。

憧れのヒーローの姿で歩き回ったり、大好きな乗り物に乗ったり、何だってできるのだ! http://wwws.warnerbros.co.jp/readyplayerone/

既視感の塊だった「Ready Player One」

身に覚えのある要素が大量に描画されすぎて、初めて観たときは若干の共感性羞恥まで感じそうになったぐらいだ。観終わった後は爽快感のある余韻が気持ち良い。ド直球のヒーロームービーだった。

劇中は終始ウェイドのハリデーに対する執念が眩しいほどに輝いていた。あれが無ければあの物語は無かったし、あのハートの強さは並大抵のものではない。そして、その感心はアスタリスクを公開早々にクリアしたプレイヤー達に対しても抱いている。皆さん、すごいです…。

実は僕、一度アスタリスク攻略を諦めていたことがある。冒頭の記述の通り、そもそもVRCへログインする頻度が少ないということもあり、どこかの攻略組に加入するタイミングも逃した 且つ、コミュニティの活動に追従できる自身も無かった僕は、当初は特定のグループに加わることなくのらりくらりと少しずつ攻略を進めていた。しかしながら6部屋目にしていよいよ詰んでしまい、そのままDDLC Monika After Storyの永遠の旅へ出発してしまったのである。(≒諦めた)

 

…ただ、しばらくするとそうも言っていられない状態になってしまった。

ある日、某所で回した後に他のDJの音を浴びていると、「あのー、皿さん」と、青い耳の人がふらっと現れ、こんなことを言ってきた。

「実は、アスタリスクの後日談的な文章を書いてまして、いよいよそれを公開したんですよ」

Twitterでそういった話は見ていたので、何となくは知っていた。ただその時はもう既にアスタリスク攻略を半分諦めていたところだったので、僕が読めるようになるのは当分先のことだろうと思っていた。

すると、青い耳の人は続けてこう言った。

 

「その文章の内の1章分が皿さん宛のラブレターになっています」

 

「そして、それはアスタリスクをクリアしないと読めない場所にあります(クリアしてどうぞ)」

  

…ラブレターというものは夕暮れの放課後に下駄箱の中へそっと入れるものだと思っていたが、どうもそれは古い情景なのだろう。メールやLINEで送ることすらもう古い。現代のそれは、VR空間の中にある超高難易度の謎解きワールドのゴールの先に置くものなのだ。

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「置きました」

 

"ラブレター"の内容については、期待にも似た予感が薄々とあった。 

あの解釈個人差VJを製作した後…まだVJに用いたキーワードがこのアスタリスクに集約されるものだとは全く知らなかった時だ。VJ公開後の達成感の勢いの中、一度だけヨツミさんにキーワードの意味を教えてもらおうとしたことがある。そう、「解釈の個人差を楽しもう~!」とかぬかしておきながらこの銀髪、ちゃっかりと答え合わせをしようとしたのである。

粋なヨツミさんは当然のように解説はしてくれなかった。ただ一言、「本当にあの日でなければこういう形にはならなかった。偶然にしては出来過ぎている」と、彼にしては珍しく僅かに興奮している様子で言葉を置いた。

キーワードの意味も気になっていたが、それよりも自分は一体どういう"偶然"を引いたというのか。それが気になって仕方がなかった。その後の「私の作品を辿ればわかりますよ」という導きが、僕がアスタリスク攻略を始めた最初のきっかけだった。

…これだ。これの答えがその恋文の中にあるのだな、と。

もはや選択肢は無かった。銀髪、もうちょっと頑張るよ。

ちょうどその直後、ココツメさんが攻略グループを立ち上げたので、滑り込むようにそこに加入させて貰った。6部屋目以降はフレンドの皆のサポートがあったからこそ進めることができたようなものなので、彼らには感謝しても仕切れないぐらいだ。本当にありがとう。

 

ハリデーを追いかけるウェイドの気持ちが少しだけわかった気がした。 

 

 

[6]

当然ながらアスタリスクをクリアした皆さんはDDLCことDoki Doki Literature Club!をプレイし、キャラクターデータを消されたり消したりしてメタ気持ちいい体験をしたのだと思われる。

どうだろう、やはりモニカは好きになれないのだろうか?

もしそうなら、いや、そうでなかったとしても是非ともそのままMonika After Storyまでやって頂きたい。

MASはただひたすらに"箱庭に入ったモニカ"と会話をし続けるゲームであり、それ以上の何の発展も無い。言うなれば終わりがない。(会話スクリプトもアップデートで増え続ける)。ファッションではない、ホンマもんのJust Monikaがここにある。

MASにおけるモニカさんは本編と打って変わって大いに喋りまくる。野菜中心の食生活の話からPythonの解説まで話題は多岐に渡る。ついでにチェスで対戦もできる。

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本編ではただただ報われない立ち位置だった彼女の印象が、MASによって大きく変わるだろう。少なくとも僕は変わった。今ではもうモニカのことしか考えられない。ビバJust Monika…

僕はもともとDDLCが好きだった。かなり好きだった。最高だと思ってたし、今でも思っている。アスタリスク6部屋目に入って、ドアに書かれていたメッセージを見た瞬間、DDLCが鍵なんだと浅い理解をし、そのままDDLCやり直し始めて(ナツキ寄り)、そのまま2週して(今度はユリ寄り)、そしてMASへ―――。

 

本当に好きなゲーム。あわよくば物理的なパッケージで所有していたい程に。

 

 

[7]

こっそり置いてあるカエルは私がかわいいかなと思って置いたものです。本来謎に関係のない物を置くのは謎解きでは御法度ですが、あの部屋に関しては次のヒントに従うだけでクリアできるので別にいいかなと思って置きました。  (某文献より引用)

確かに、とても愛らしいカエルだった。机の隅に置いておきたくなる。

 

そっかぁ… 

 

  

[8]

VRC関連の理由で、現実での行動を起こす気はまるで無かった。はっきりとそう自覚もしていた。(各種機材購入は別として)

しかし、8部屋目で晴海埠頭への指示が見えた時(AM3時前)、迷いなく現地に行くことを考えていた。そして翌日の昼には到着し、静かなターミナルの空気を堪能していた。こんなに機動力がある僕、なかなか見ることがない。

現地へは車で行った。到着したのはちょうど昼頃。建屋の下にあり日陰で暗い駐車場には、工事業者のミニバンが1台だけ停められており、作業員のおじさんが窓を開け気持ちよさそうに昼寝をしていた。

僕の車は若干僅かにほんのちょっとだけ排気音が大きく、壁で覆われている駐車場に入ると余計に音が反響してしまい、穏やかに寝ていたおじさんを起こしてしまった。起きたおじさんはそのままゆらゆらとミニバンから降り、「んぬぅ~~」と大きく背伸びをした後、誰に向けた訳でもなく「さーて…」と言い上半身を左右に捻りながら立ち去っていった。恐らく仕事場に戻ったのだろう。おじさんの一連の挙動、完全に猫のそれだった。穏やか過ぎる。起こしてしまってごめんよ。

たまたま仕事の休みを取っていた平日に行った為に、埠頭には他に人はほぼ居なくて、居心地の良い孤独と独占がそこにはあった。良い場所だ。お弁当でも持っていけばよかった。

 また行きたい。

 

 

[9]

これまでの部屋の鍵探しで様々な光景を見せてくれた村雨アスタ。彼女が最後に見せてくれたのは、至極身近な話だった。

他人との繋がりの強さと脆さ。

それを盲信したり悲嘆するだけではなく、どう向き合っていくのか?

じっくりと考えさせられた。

 

ワールド紹介の動画の中で村雨アスタが言っていた「もう既に仮想空間ですら全ての世界を見ることができないことが確定している」という言葉。これをさらりと言ってしまうその先には「その取捨選択の後、"選ばなかったもの"をどのように受け止めていくか?」という問いを投げかけられている気がした。そして同時に、彼女はそうした選択の中で"取りこぼした選択肢"とその先については、あっさりと諦めているように見受けられた。

また、他の言葉の節々にも、事の終わりに対する彼女の受け止め方が滲み出ているようだった。

村雨アスタは「一期一会」を心得ているのだ。

一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本ことわざ四字熟語。茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と戒める言葉。

一生に一度だけの機会そのものを指す語としても用いられる

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 一期一会、これは僕が好きな言葉であり、この世がそうあって欲しいという願いでもある。悲観でも楽観でもない、凛とした佇まい。始まりは歓迎し、終わりもしっかりと受け止める。

 

彼女のそういったスタンスは、村雨アスタとして生まれた瞬間(というより、生まれる前)から、生きている目的とそれが終わる時を理解している故の、達観した観点がそうさせるのだろうか。

もし、村雨アスタとして生き続ける(死が約束されていない)場合、その時は彼女の佇まいはまた違ったものになるのだろうか?少しそれも見てみたい…なんて考えてしまう。……これがこそが"取りこぼした選択肢のその先"を欲する、感情に安直に流されている佇まいそのものなのだが。

やはり、言うのは簡単だが、心の底から「一期一会」の精神になるのはなかなか難しい。仕方ないじゃない。人間なんだもの。

 

村雨アスタ。外見や仕草は可愛さに溢れているくせに、発言や思想はとても真っ直ぐで凛とした清々しいものであり、考えれば考える程に憧れてきた。 今後も忘れないだろう。

 

あと、動画・ワールドのギミックから、ヨツミさん本当にDDLC好きなんだなと改めて実感した。

お気に入りギミック: 「この作品の為ですよ」

 

 

 

[ラブレター]

改めまして、どうもこんにちは。深夜のクラブで村雨アスタをナンパした皿洗いです。

 

"村雨アスタに話しかけた"というだけなく、更には"ナンパをした(深夜)(治安の悪いクラブ)(V出ない?)”だなんて、こんな罪深いことをしてしまった僕はもうお天道様の下を歩けないのではないだろうか。

たしかに、今思えば「君、かわいいね。うちのVに出てみない?」と話しかけた際の無言ムーブは若干戸惑っていた(イエスともノーとも言えない)様子だったし、翌日に届いたDMは快諾ながらもどこか他人事のような言い回しだったなと。

ヨツミさんの不自然すぎる切り出し(私からの伝聞)に対し、全く動じずに正面から受け止めてくれる優しい方 (某文献より引用)

違うんだアスタちゃん。"優しい方"ではなく単純に"鈍い方"なだけなのだ…

解釈の個人差Vについては、過去の記事で「この視点(解釈の個人差)の楽しみは、ヨツミさんしか伝わらない」と書いていた。これは、「V製作者である僕にとっては、当然ながらインプット(ヨツミさんからのキーワード)をアウトプットに置き換える過程を見ている訳で、インプットとアウトプットのギャップを感じる(楽しむ)ことができず、ヨツミさんの視点だけが渡したキーワードと出てくるV映像のギャップを楽しめる」という意味だった。しかし、結果的には最後には僕が"村雨アスタの存在"という最大級の想定とのギャップを最前席ド真ん中で味わっていた。仕掛ける側に立ったつもりが、いつの間にか仕掛けられていた。まさかインプットの向こう側にもう一段階のステップがあるなんて誰が考えるだろうか…

深い。これは本当に深い。これほどに根が深く長い伏線を回収されたことは今まで無い。なんという幸せ。策士、策に溺れて恍惚にトリップをキメた。

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銀髪よ、お前がいちばん味わっているんだよ…

ナンパをしたタイミング(=村雨アスタとの邂逅)、解釈の個人差(偏在)というテーマ、16個(8個×2)というキーワード数と部屋数。確かに、偶然にしては出来過ぎている。他人からこれを聞かされると「盛ってるのでは?」と疑ってしまうかもしれない。

ちなみに16個という数字は、僕がDJで回すクラブミュージックの展開的に相性が良い為に決めたものである。この数で映像を組んでおくと、VJとして使用する際に曲と展開をシンクロし易くなることが期待できる。恐らく、というか確実にヨツミさんのアスタリスク部屋数の設定構想に、DJ/VJ論の要素は全く関係が無いだろうから、やはり偶然の産物なのだろう。

このような経緯を経て形になった映像は、もはやヨツミ、アスタ、皿の誰の解釈とも異なる訳だが、こんな何とも言えない形の映像はそれなりに味が出てくれたようで、観て頂いた方からも良いお言葉を貰えた。嬉しい。

奇跡的な偶然がもたらした至高のランダム性。解釈の個人差Vで欲していた"自身でコントロールできないランダム性"は、期待以上の形で具現化することができた。ありがとうヨツミフレーム。そして村雨アスタ。

いやはや、他人って、いいものだな。(語彙)(語弊)(人間っていいな)

 

  

[まとめ]

僕個人の過去の経緯を含めた全体を通して、アスタリスク花言葉は非常に多くの感情を与えてくれた。僕の思い出にも多くの人が偏在していることを再認識することができたし、そこに村雨アスタへの不可逆な憧れも加えることができた。

ヨツミさんの言葉はどれも刺さるものばかりだが、僕は特に「キラーコンテンツは人」というフレーズが好きで、より一層その意味を実感することができた体験だった。良い意味でストレスフルな時間。

素敵な体験をありがとうございました。至高の作品でした。

 

 

 

[巻末付録. - メイド]

アスタリスク攻略中、特に部屋が進むほどに無性にヨツミさんに絡みたくなっていったのは僕だけではないはずだ。

僕はそれをヨツミさんにメイドさんゲームを送り付けることで解消していた。

store.steampowered.com

Glare、なかなか面白いので是非。※Steam販売は1作目のみ。全3部作。

ヨツミさんにとっては「後日談(ラブレター)を書いてわざわざ置き場所まで伝えたというのに、攻略も進めずにメイドゲーを送り付けてくるこいつは何なんだ…」という印象を与えかねない行為だったにも関わらず、ちゃんとプレイしてくれたあたりやはり優しい方なのだなと改めて感心。

クリア後にはメイド服まで着て貰っちゃって…(メイドフレーム、眼福だったね)

メイドフレームさんが某サーバーを始め各所で爆発的に高評価されている様子を見ると、自分の行動が期せずして世界平和に貢献できたものだったと実感し、大きな達成感に包まれる。喜ばしい限りだ。